保育観とは?保育士3人が答える保育観の意味・解釈
前回「保育観について」という記事をアップし、公開したものの「保育観とはこういうものだ」「こういった意味である」と断言できない自分がいました。
インターネットで検索してもはっきりとした答えが見つからなかったため、様々な保育士の方にご協力を募り、保育観とはどういった意味なのか?どういった解釈をしているのか?どんな保育観で働いてきたのか?そんなことを聞いてみました。
各保育士の解釈から保育観の意味を導き出してみました
目次
- 1人目「保育に対して持っている自分の考え・正しいと思っていること」
- 2人目「自分が保育をしている上で、一番大事にしている根っこの部分」
- 3人目「保育をするうえで、どのような関わり・対応・教育が良いのかといった保育者の価値観・理念」
- まとめ【結論】保育観の意味とは「各保育士が考える、子ども達のための最良の保育」である
※断言できないと言いつつ、はる蔵自身も答えていますが、僕の場合、解釈程度のことしか書いておりません。
hal.さん「保育に対して持っている自分の考え・正しいと思っていること」
例えば、「保育士同士の保育観が合っていない」・「保育士の保育観に委ねられている」などのように「保育観」という言葉を使うのではないかと思っています。
私としては保育観とは、「保育に対する観念・信念」のことだと解釈しています。つまり「保育に対して持っている自分の考え」や「正しいと思っていること」を指すのだと思います。
それを踏まえて、私自身がどのような「保育観」で保育をしてきたのか、一言でいうと、「子どもが主体」ということです。
- そのときの子どもにとって最善だと思えることを常に考え続け、選び続けること
- 子どもからの自主的な動きを見逃さず大切にすること
- 子どもが楽しんでいることを喜び、一緒になって楽しむこと
などを意識しています。
例えば自分が迷った時や苛立ってしまった時には、「それは誰のためにやっていることなのか?子どものためなのか?自分のためなのか?周りの職員のためなのか?」と立ち止まれる自分でいたいとも思います。その時にやはり、「子どもが主体」の選択をしたいし、できる強さを身につけたいです。
そして、本当に「子ども主体」の保育を継続した結果が、長い目で見ると「保護者のため」にもなっているのではないか・なっていくといいな、と思いながら、日々保育してきました。
yuunaさん「自分が保育をしている上で、一番大事にしている根っこの部分」
保育園それぞれに園目標や、保育園理念なんてものが掲げられていると思います。全保育士がその目標などを頭に入れながら保育していると思うのですが、やはり普段の保育の内容は先生によってさまざまです。
それは、先生一人一人の『大事にしている根っこの部分』がみんな違うからかななんて思います。だから私自身は、保育観とは『自分が保育をしている上で、一番大事にしている根っこの部分』だと思っています。
私自身、保育士をしている中で大切にしていたことは
- 保育士は子どもにとって太陽のような存在であること
- 子どもの成長の過程を大事にし、自己肯定感育てる保育をすること
を常に頭に入れて、子どもと接していました。今思えばこれが私の保育観だったのですよね。
新人の頃は、周りの先生の素晴らしい保育を盗み、実践することで精いっぱいだったので『自分自身の保育観』はブレブレだったと思います。しかし、経験していく中で、自分が保育士として譲れない部分が上記の2つでした。
1つ目の『保育士は子どもにとって太陽のような存在であること』は、保育士としては大前提ですよね。子ども達と共に笑い合い、いつも元気で明るい先生でいること。
2つ目の『子どもの成長の過程を大事にし、自己肯定感育てる保育をすること』は、保育士として経験を積んで私の中に刻まれたものです。
これからも人生を歩んでいく子ども達の自己肯定感を育てるような保育を心がけること。それはつまり、『先生は僕達、私達のことを分かってくれる。先生はちゃんと見ててくれる。』と、子どもたち自身が実感し、安心できるような保育をすることです。
働いているときは、『できた、できない』で子ども達を見るのではなく、その過程を見逃さずに捉え、見守り、時には手伝い、認めて共に喜び合っていきたいと思っていました。実際、なかなか難しくいつも自己嫌悪に陥っていましたが…。
以下は講演会で聞いた忘れられない言葉です。
『保育園時代に先生方によって培われた子どもの自己肯定感は、確かに小学校以降もその子の基盤になります』
この時、先を見据えて保育をすることを学びました。
保育観というととても難しい言葉のように思いますが、保育をしている先生方ならば、きっと自分自身の保育観を無意識の中でもしっかりと持っていると思います。
私自身も一度見つめなおす機会になりました。
はる蔵「保育をするうえで、どのような関わり・対応・教育が良いのかといった保育者の価値観・理念」
まず個人的な大まかな解釈ですが、保育観とは、子ども達の保育をするうえで、どのような関わり・対応・教育が良いのかといった保育者の価値観・理念だと思います。
以下の内容は、本来ならば体罰・虐待になるおそれがありますが、あえて極端な例をあげてみます。実際にそんなことをしたら大問題ですので、やめてくださいね。
A保育士
「本当にいけないことをしたら叩く。ダメなものはダメ。言葉だけでは伝わらない熱意と愛情をもって厳しく向き合う。」
B保育士
「いけないことをしたら叩くのは、恐怖心で抑えつけようとしているだけ。だから私は言葉と心で伝え、その子と向き合う。」
C保育士
「いけないことをしないように、言葉で伝えるのではなく私が見本となる。そういった大人をみて育った子はいつか気づくはず。」
上記3人の共通点は、その子のため…と思い、どちらも愛情のある対応です。一例の良し悪し・適切、不適切は別として…。
これらはそれぞれのしつけ・教育方針の違い。すなわち、しつけ・教育方針と保育観は紙一重な気がするんですよね。
心や人を育むために、教育・しつけ・対応等、どう向き合えば子ども達にとって一番良いのか、保育士一人ひとり考え方・接し方は異なります。これが保育観なのかなと思っております。
しないようにするための対応だけじゃなく、良い点をもっと伸ばすための対応・どうしたら安全で安心して保育園で過ごせるのか、なども含まれます。そういった対応を保育の中でどうしていくのか、それが保育観の解釈となります。
複数担任の場合など、保育観の違いが原因で子ども達が混乱してしまうケースもあると思います。「A先生はいいと言ったのに、B先生に叱られた」などと…。
だから新人の頃は特に各保育士の保育観を知り、いいとこ取りしながら、試行錯誤していましたよ。このテーマに正解を求めるのも難しいと思います。
【結論】保育観の意味とは?
保育士3人の保育観に関する解釈で共通しているのは、どれも「子ども達のため」ですね。
よって、結論といたしまして、保育観の意味とは「各保育士が考える、子ども達のための最良の保育」でいいのではないでしょうか?
お読みくださった保育士さん、あなたの保育観についてのご意見もお待ちしております。また、「はる蔵さん、その保育観の解釈狂ってるよ…」「その結論おかしくない?」などの批判・否定でもかまいません。
是非ともコメント投稿していただけたら幸いです。
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保育観…とっても大切だけどとっても難しいことでもありますよね。
「自己肯定感をしっかり持たせてあげられるようにしたい」という言葉にとても共感しました。
今の子どもたちは親から認められずに育ってしまい、自己否定ばかりしてしまったり、自分に自信がなかったり、いつも不安だったりしてしまうということが問題としてあげられています。
この幼少期にしっかり愛されて自分はこのままでいいのだ。と感じて自信をつけてあげることが、これからの彼ら・彼女らの人生において一番大切なことといっても過言ではありませんよね。
保育観とは、目標(どんな風になってほしいか)に向かった、子どもとの向き合い方関わり方のことだと私は思っています。
私の場合は大人(保育士)主体の保育ではなくてその時々の子どもに合わせた子どものための保育がしたかったので、子どもの成長に合わせた環境を作って常に子どもの目線に立って接していろんなことに一緒に感動や喜びを感じるようにしてきました。
もちろん反省することも多々ありましたが、子どもと同じ視点になると小さな成長もわかり保育者としてもとても嬉しく、またそれを保護者に伝えられた時に保護者とも喜びを感じることができて・子ども・保護者・保育者がそれぞれ成長できたように感じました。
保育士同士の保育観の違いは難しいですよね。
私の場合三人の保育士がいて、私が一番若かったので先輩の先生の方向性 保育観を壊してはいけないなあと我慢することはたくさんありました。
例えそれが間違っていたとしても先輩の圧力はかなり大きかったため何もいえず、子どもがかわいそうだなと思うこともしばしば。しかし、そんな保育の現場に遭遇するのは珍しいことでもないようですね。
保育者同士がまず、どのように保育していきたいのかをしっかりと話し合ったうえで、子どもと接していく必要があると思います。
保育観・価値観が違うと保育の質まで落ち、先生の質まで失われることもあります。こどものためにどういった保育をしていくかしっかりと話し合いからはじめてほしいですね。
「保育観」と言葉だけで理解するのは難しいですね。
私は「保育観」=「どういう子どもになってほしいか」と考えています。
世の中には色々な家族の形があったり、色々な人がいて、子どもたち1人1人を取り巻く環境が違います。
その中で、保護者によっても、物事、子どもの言動などに対して、考えや対応が違いますね。
もちろん。それらは当然のこと。
さらに、保育者もそういった、違った環境で育った人同士、また自分の感情も混ざり、保育観をピッタリそろえることなんて無理でしょう。
ですが、保育観が違うからといって、それぞれがそれぞれの思うように保育していたら、子どもは誰に合わせたらいいのか、誰の言葉を信じよう。と悩んでしまいます。
保育者が指導方針をじっくり話し合って、違うと思うことは意見を出し合い、そういった努力をしていくことで、その園のカラーが出て、まとまりにくい保育観も固まっていけるのだと思います。